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2012年3月25日日曜日

七年ぶり♡

七年ぶり新しい作業服です。


今はやりの


カッコいい作業服にしようと思いましたが・・・・




私の体つきでは



残念賞 (涙)




まったく同じ作業服です。



ネームだけ黄色です。



笑売繁盛を願ってみました。



七年後にカッチョいい作業服が買えるように自分をリフォームしよっと





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2012年2月24日金曜日

今年はもらいました

昨年は手伝わせるだけ手伝わせて



一個もチョコをくれなかった娘達ですが



今年はくれました。


って



ラッピングもせず このままゴロンと?




失敗作と余りもんじゃないか




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またまた サブリミナル

気がついて頂けましたか?


またサブリミナルの様なテレビCMです。


そうそうたる工務店さんに囲まれて  山本大工  ポツンと出てました。




よく言われます。  



山本大工?   そのままやんけ!  とか



山本大工 って聞いて若い人は名前でまず仕事頼まないよね(イメージで) とか・・・



屋号に関しては結構皆さんぼろくそに言って頂いています(笑)





先日も屋号について家族で話をしてました。


山本大工の得意技 とりあえず大きな会社の名前の頭を「や」変えてみました。




ヤダケ  うーんいまいち     ヤカノホーム   意味わからん     ヤマホーム  おお!意外といいじゃない!

ヤミトモ林業    危なそう    ウッド ヤン  中国系企業か?・・・





気がつくと、はしゃいでいるのは山本大工ひとりで 家族全員知らん顔でした(涙)



さびしいので最初から話に入っていない娘に話かけました。


「何が好き?」


「嵐」




・・・?ってことは   「やらし」かよ・・・




もういいや  ばかにして!





ということで屋号は当分変えず 協賛企業名 山本大工として フェアです。


沢山の方いらしてください



招待状届いてますか?



届いてない方言ってください。すぐ届けます。



お待ちしています。




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2012年2月15日水曜日

知ってますか

渡辺謙のスピーチ知ってますか?




 そのまま載せて良いのかどうかわかりませんが 感動しました。




 全文です。  



初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。  
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

  私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。

そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。  しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。

 人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。  私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。

 しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。  

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。

 それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。  「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。

 人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。  いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。  国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。

 しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

  私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。





 いかがでしたか? 私も考えさせられました。






 「絆」の本来の意味をよく聞きますが 国会や東電のお偉いさんは本来の意味で使っているのかなと思います。

とれない

足場シート

私のはこんなやつです。(これは夏に撮った写真ですが)




ひもがかちんこちんに凍って・・・



とれません(涙)



冬はきらいです。






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最後の一枚

鳩サブレーです。



山本大工お菓子の中では鳩サブレーが大好きです。



去年 お客さんからびっくりするほど大きな缶入りの鳩サブレーを頂きました。


一日一枚と決め


毎日 鳩さんと会える喜びをかみしめてきましたが


ついに最後の一枚になりました。



明日から何を楽しみに生きていけばいいのだろう・・・・











子供達にも「この 深い味がわからんのなら食うな!」と一枚もやりませんでした。


44歳自営業  我ながらまだまだ子供だな~と思いました。



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高知です。

高知にお勉強しに行ってきました。



と言っても去年の話しです。



何をいまさら    ブログにのせようと撮った写真があったものですから・・



お土産は   ありませんもう食べました…




そう言えばまだ言ってませんでした。







あけましておめでとうございます。


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